樋川選手(福島ロケッツ・選手紹介)

福島ロケッツで活躍した樋川選手(下の名前がわかる画像を1つも保存していませんでした…笑)を紹介します(^^)

 

樋川選手は福島ロケッツ設立3年目の2024年、ドラフト1位で入団!

 

※以下は正確な能力が判明する前のドラフト時点での能力です。

 

ドラフト1位ですが、実は野手能力の高い投手「建山選手」の「はずれ1位」としての入団でした(^_^;

 

 

 

そこからロケッツで17年間プレー!

 

以下は年度別の成績です!

 

 

「パワーが極端に低く、それ以外の能力は優秀」という特徴的な選手でした。

パワーに関してはやはり心配ではありましたが、結果的にはよく活躍してくれたので印象にも残る選手となりました♪

 

 

キャッチャーとして入団しましたが、正式な能力が判明すると「キャッチャーE」、捕球もEということがわかりました。

 

足が速かったこともあり、すぐに外野を守れるようにしました。

 

 

 

入団2年目の2026年シーズンでは規定打席に到達!

 

 

2027年にはゴールデングラブ賞(外野手)を獲得!

オールスターファン投票ではなぜかDHで2位…笑

 

 

 

2030年まではほぼ外野手としてプレーしていましたが、2031年からは主要捕手たちの不調とキャッチャーの人数不足というチーム事情から、キャッチャーとしての出場機会が増加!

 

特に2031年はキャッチャーとして94試合に出場。

外野手としての出場試合数を上回りました!

 

 

 

2032年には「最多安打」のタイトルを獲得!

 

 

 

また、2033年には盗塁王のタイトルを獲得!

 

 

 

その翌年、2034年シーズンはすでに年齢も34歳になっていましたが規定打席に到達!

打率も「.317」と前年を上回る活躍でした♪

 

 

しかし、このシーズン以降は規定打席に到達したシーズンはなく、能力もだいぶ衰え始めていました。

 

衰えにより基本能力が上がらなくなってからはサブポジションの練習とキャッチャー能力の向上に力を入れました!

 

そのおかげでいつの間にかキャッチャー能力もEからBへ改善♪

 

 

2038年には走力もだいぶ衰えて、若い選手たちと外野のレギュラー争いをすることが難しくなりました。

 

そのためファーストのサブポジションを身につけ、出場機会を増やしました!

 

最終的にこのシーズンは87試合に出場!(ファーストとして76試合に出場)

 

 

しかし、1軍での出場はこの2038年シーズンが最後となりました。

 

その後は能力もだいぶ衰え、2040年には引退を申し出ましたが、若手キャッチャーたちの育成を行ってもらうために引退引き止め。

 

2042年シーズンまでチームに在籍し、シーズン終了後に引退となりました。

 

 

能力は限界まで衰えていましたね…(^_^;

 

 

そして、引退後は監督としてまたチームに在籍することとなったのでした(^^)♪

 

 

 

以上、「パワーが極端に低く、それ以外の能力は優秀」、福島ロケッツの樋川選手の紹介でした(^^)♪

 

 

 

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